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桜田門外の変に参加した有村兄弟誕生の地

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この3月24日で桜田門外の変から155年になります。

鹿児島市高麗町に、桜田門外の変に参加した有村兄弟誕生の碑があります。

以下、パネルの内容をご紹介します。

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有村雄助(1833年~1860年)  有村次左衛門(1838年~1860年)

安政時代、幕府の大老井伊直弼の弾圧で、多くの者が処刑される安政の大獄
がありました。それに対して、水戸藩の有志と結んで、井伊大老の襲撃に参加
したのが、雄助と次左衛門の兄弟です。

 万延元(1860)年3月3日の桜田門外の変で、井伊大老を一番先に切り込んで

いったのが次左衛門でした。また、雄助は決行には加わらず、計画の成功を京都

へ報告に向いましたが、途中で捕らえられてしまいました。この事件により、二

人は28歳(雄助)23歳(次左衛門)の若さで自害しました。

 次左衛門は千葉周作に剣を学んだことでも有名です。

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次はWikipediaからの紹介です。
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桜田門外の変(さくらだもんがいのへん、正字体:櫻田門外の變、正仮名遣:さくらだもんぐわいのへん)は、安政7年3月3日(1860年3月24日)に江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で水戸藩からの脱藩浪士17名と薩摩藩士1名が彦根藩の行列を襲撃、大老・井伊直弼を暗殺した事件。この襲撃者らを「(桜田)十八烈士」[2]とも呼ぶ。またこの事件自体を「桜田事変」[3]や、「桜田義挙」[4]とも呼ぶ。
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今、放映中のNHK大河ドラマ「花燃ゆ」でも、桜田門外の変が必ず出てくると思います。

また、歴史研究会の方から聞いたところによると、有村家の子孫の女性が後日、井伊家に

嫁に行ったそうです。仇同士であったはずなのに、どうしてそんなことが可能だったのか、

歴史にはまさに奇奇怪怪な面もあるということでしょう。






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